代表部員の活動 : 派遣員 金井 裕香
令和7年10月10日
一般企業勤務から外交の現場を支える在外公館派遣員への挑戦派遣員 金井 裕香 (2023年~) ※以下の内容は、ASEAN日本政府代表部の立場や意見を代表するものではなく、あくまで私自身の個人的見解です。 |
![]() イジェンのトレイルラン大会での筆者 |
1 はじめに私は、2023年11月から2025年9月までの約1年10ヶ月、ASEAN日本政府代表部の在外公館派遣員としてジャカルタにて勤務いたしました。派遣員の業務は、部員の出張手配や日本の各省庁からの出張者のホテル・配車の手配支援、大使館・ASEAN代表部のレセプション支援など、多岐にわたります。私は「部員の皆さんが外交の現場で最大限の力を発揮できるよう支える存在」でありたいと考え、日々のコミュニケーションを大切にし、派遣員だからこそ知り得る知識や経験を増やすことに努めました。少しでも部員の相談役になれていれば、これ以上に嬉しいことはありません。 2 食品物流の世界から外交の舞台へ前職では食品メーカーにて、加工品の需給予測やDX推進などの物流改革を担当していました。営業のように表舞台に立つ仕事ではありませんでしたが、裏方として全体を支える役割にやりがいを感じていました。週末や災害時であっても商品を欠品させないため、先を見据えた行動が求められ、状況を把握し調整する力を培いました。一方で、学生時代から抱いていた「東南アジアで働きたい」という夢が蘇り、外交の現場を陰で支える派遣員の仕事に強く惹かれ、在外公館派遣員試験に挑戦しました。ASEAN代表部で勤務することになりましたが、在インドネシア日本大使館と同じ建物に所在していたため、両館の庶務業務にも携わるという、非常に恵まれたポジションでの勤務となりました。 3 ロジを通じた学び要人訪問の対応(ロジ)では、空港やホテル、レンタカー会社、関係各所との調整が求められました。初めは、要人や担当者の要求をそのまま伝えるだけで、現地の事情を十分に理解できず、思うように進められないこともありました。そのたびに、自分の無力さや調整力不足を痛感しました。転機となったのは、石破総理大臣のインドネシア訪問時のロジ業務です。本省や近隣諸国からの出張者、全館員と協働する中で、派遣員として自分に求められる役割を認識しました。私は空港班員として、「空港の事情を誰よりも知る立場になること」を心がけました。現場に何度も足を運び、インドネシア語を活用して空港当局職員との関係を築きました。インドネシアでは予定通りに進まないことも多く、当日の変更に対応を迫られる場面もありました。その際は、現地スタッフと粘り強く交渉し、指示を待つだけでなく、自ら考え行動して柔軟に対応しました。派遣員の仕事はあくまで裏方ですが、その場にいる自分にしか果たせない役割があることを実感した経験でした。 政府専用機に向かって手を振り、一行を見送った瞬間、胸に熱いものが込み上げました。長い時間をかけて全館員が準備を重ね、様々な困難を一丸となって乗り越えてきた努力が実を結び、無事にこの瞬間を迎えられたことを心から実感しました。この場に立ち会えたことは、派遣員として大きなやりがいを感じる、一生忘れられない光景となりました。 4 裏方としてのやりがい2年前まで民間企業で食品の物流を担っていた私が、外交のロジを支える立場になりました。分野は異なりますが、今ではどちらも「表舞台を支える縁の下の力持ち」であり、「現場主義」という点は共通していると感じます。在外公館派遣員に特別な専門性は求められません。私自身、インドネシア語もほぼ独学でした。それでも、裏方として外交を支える現場の一員として責任感を持ち、奮闘した日々は、困難もありましたが、日本の普通のOLのままでは決して経験できない貴重な体験となり、大きく自分を成長させてくれました。5 ASEAN代表部員との思い出様々な省庁から集まった部員の方々は、各省庁を代表し、日ASEAN協力という大きな使命のもと、ASEAN諸国への出張や交渉、会合などに日々忙しく取り組まれていました。その姿を間近で拝見し、多くのことを学ばせていただきました。そして、私自身の今後の進路にも大きな影響を与えてくれました。多くの素晴らしい方々と出会い、一緒にお仕事をさせていただいたことで、自分の視野を広げることができました。一方で休日には、スポーツや旅行を通じて部員と多くの思い出を作ることもできました。インドネシア大学でのマラソンリレーやイジェンでのトレイルラン、ソフトボールのリーグ戦で汗を流すなど、公私ともに充実した日々を過ごすことができました。特に印象に残っているのは、部員と参加したイジェンのトレイルラン大会で3位入賞を果たしたことです。仲間と共に挑戦した経験は、業務では得られない特別な思い出となりました。 6 おわりにジャカルタで派遣員として過ごした日々は、私にとってかけがえのない財産となり、インドネシアは第二の故郷となりました。今後もこの経験を基に、日本とインドネシア、そして日本とASEAN諸国の未来に微力ながら貢献できる存在となるべく、新たなステップに進んでまいります。本当にありがとうございました。 |